好きな服屋に入れない

人見知りのぼっち大学生が、受験のはなし、今までのはなしを書きます

好きな服屋に入れない

このブログのタイトルにもしたテーマについて書きたいと思う。

僕は小さい頃からずっと人見知りである。

心を開けば結構話すようになるけどそこまでの過程が常人よりはるかに長い。

話したくないわけじゃない、何なら仲良くなりたいと思ってる。

でも自分からは行けない。

あなたから話しかけて!

話しかけても興味ない振りして最初は話すよ!

でも根気よくあきらめないで話しかけて!

って思ってる。

こんな虫のいい話はそうそう起きない。

自分の今、親友といえる人だって最初は部活が同じだから話すしかなかっただけで、こんなに仲良くなると思ってなかっただろう。

そんな人見知りにとってめちゃくちゃハードルが高いのが服屋にはいること。

服が嫌いなわけじゃない、なんなら高校三年生くらいから古着がすごいカッコいいと思って大学に行ったら着てみたいと思っていた。

何が怖いのかわからないと思われるかもしれないけど、全部が怖い。

まず入ることができない。

古着屋が放つ「俺たちの扱うこの服たち超イケてるだろ!」感にやられる。

お前みたいなやつが俺たちのセンス分かんの?と店員に聞かれている感じ。

服を買うための服がないよ!でも逆にそんな服着て入って店員の話してること何もわかんなくてファッション童貞ってばれたらどうしよう。

ネットで検索すると現役の古着屋さんが「そんなこと思っていませんよ。私たちは服が欲しいと思っている人のもとに行ってほしいだけです。」と書いてあった。

そうか。そう信じていいのか。と思ったとき大変なことに気づいた。

自分がそう思っている。

古着屋に入ることを断念したとき、僕はきまってこう思う「お前らしゃれけづけやがってよ」

自分みたいな奴が思うんだ。ほんとは行きたい奴らで自分たちの首をお互いにぎゅうぎゅうに絞め合っていんだ。

僕は読書が好きでよく時間があるとき買う気はないけど本屋に立ち寄る。

そこで疑問に思う。

今まで本を読んでこなかった人は本屋に行くかとに緊張感を感じるのか?

多分感じないだろう。

悔しいけど、きっと心の中で服が好きな人は本が好きな人よりこの世界で上に立っているって思っているんだろうな。

ただ好きな服を着れる日はまだまだ遠そう。

 

 

 

半年前、受験生だった頃のはなしを少しだけ

高校は共通テストを受ける学生のために12月くらいから授業がなかった。

一見、自分の勉強だけに専念できる大チャンス。

人見知りの僕はもちろん塾に友達はいないので、残り三か月弱の間同級生にほとんどあえないのは想像を絶する辛さだった。

ばっか考えて勉強に集中できないこともあった。

考えることは意外に体力を使う。

理由は単純、死への恐怖。

今までの受験勉強中に人生80年しかないのにその1年勉強に使っていいのかと考えるのがめちゃくちゃ多かった。

「受験をしない高校三年生はこの一年めっちゃたのしんでるぞ!」そんなことを思ってた、しかも貴重な十代。

こんなに勉強しても死んだら勉強してない奴とおんなじ、なんならこのままお勉強してたら一生レールから外れられないくだらない人生なんじゃないの?

勉強中、死んだらこの先、何千年、何億年、何兆年と真っ暗な世界になにもできず閉じ込めらるんじゃないかって考えてしまう。

こんな感じで僕は死ぬことがすごく怖い。

友達と苦労話をする時間はその恐怖への特効薬。

なんでかわかんないけど家族との話ではだめなんだよな。

話すことないんだからホームルームなくていいだろ!

5限終わったら早く帰らせろよ!と思ってた自分をできるだけの力でパンチしてやりたい。

最初のはなしはこんな感じで見てくれた方ありがとうございました!